中大兄皇子と中臣鎌子

日本書紀 巻第二十四 皇極天皇 天豊財重日足姫天皇
 三年春一月一日、中臣鎌子連を神祇伯に任ぜられたが、再三辞退してお受けしなかった。

中臣鎌子連は人となりが忠正で、世を正し救おうという心があった。

たまたま、中大兄が法興寺の槻の木の下で、蹴鞠の催しをされたときの仲間に加わって、中大兄の皮鞋が、蹴られた鞠と一緒にぬげ落ちたのを拾って、両手に捧げ進み、跪いて恭しくたてまつった。


三国史記 巻第五 新羅本紀第五
第二七代 善徳王(在位六三二―六四七)
 十三年(六四四)春正月、使者を大唐に派遣し、特産物を献じた。

三国史記 巻第二十八
百済本紀第六 義慈王
第三一代 義慈王(在位六四一―六六〇)
 四年(六四四)春正月、使者を唐に派遣し、朝貢させた.
〔唐の〕太宗は司農丞の相里玄奨を派遣し、〔百済新羅の〕両国を告諭した。王は上表文を奉って陳謝した。
 王子の隆を太子とし、大赦した。