第四〇代 哀荘王(在位八〇〇―八〇九)

三国史記 巻第一〇 新羅本紀第一〇

第四〇代 哀荘王(在位八〇〇―八〇九)

 六年(八〇五)春正月、母の金氏を封じて大王妃となし、妃の朴氏を王妃とした。
 この年、唐の徳宗が崩御した。

(18)
延暦24年(805年)元和元年(806年)
高階遠成(遣唐使判官)
藤原葛野麻呂らの帰国直後に急遽任命、出発。高階遠成は在唐中に唐朝より中大夫・試太子允の官を与えられる。806年10月に遣唐留学生の橘逸勢や留学僧の空海らを伴って帰国。帰国後の12月、高階遠成は突然遣唐使に任命されて休む暇もなく出発した心中を哀れまれて、特別に正六位上から二階昇進して従五位上に叙せられた。留学生として20年の留学予定が僅か2年で帰国した、すなわち規則違反の空海に対して、朝廷は大同4年(809年)まで入京を許可しなかった。