第三五代 景徳王(在位七四二―七六五)

三国史記 巻第九 新羅本紀第九

第三五代 景徳王(在位七四二―七六五)

 二十一年(七六二)夏五月、五谷(黄海道瑞興郡瑞興面)・休巌(同鳳山郡沙里院邑)・漢城(同載寧郡載寧邑)・樟塞(同遂安郡遂安面)・池城(同海州市)・徳谷(同谷山郡谷山面)の六城を築造し、各城に太守をおいた。
 秋九月、使者を唐に派遣し、朝貢させた。


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天平宝字6年(762年)-
中臣鷹主(送唐客使)・藤原田麻呂(副使)・高麗広山(副使)
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規模を縮小した上で、唐使沈惟岳を送らんとするも夏のうちは風浪に恵まれず、安史の乱の影響もあり渡海できないまま7月に正式に中止。翌年正月17日、渤海使の王新福が混乱する唐の情勢を伝え、これを鑑みた朝廷は沈惟岳をしばらく大宰府に留まらせるよう命令。大使らは都へ帰還を命じられる。その後、沈惟岳は日本に帰化し、姓と官位が与えられた。