第三〇代 武王(在位六〇〇―六四一)

三国史記 巻第二十七

百済本紀第五 武王

第三〇代 武王(在位六〇〇―六四一)

 秋八月、王の姪(甥)の福信を唐に派遣し、朝貢させた。
〔唐の〕太宗がいうには、

 〔百済は〕新羅と代々仇敵であり、しばしば互いに侵略しあっていた。

と。〔そこで太宗は百済〕王に璽書(親勅。詔勅に天子の印をおし、封緘したもの)を賜って、

  王は代々君長として、東蛮(東方の蛮地)をいつくしみ領有してきた。〔百済は〕海上はるかかなたにあり、風濤がたちはだかっている〔にもかかわらず〕真心をつくし、朝貢をつづけ、そのうえ、嘉猷(良策)を考えている。はなはだよろこばしく思う。朕は〔天の〕おぼしめしを慎んでうけ、天下に君臨してから、正道をひろめ、民衆をいつくしみ育てようと思っている。舟や車が通う所や、風や雨が及ぶ所(全世界)〔ではすべてのものが〕その生命をまっとうするようねがい、ことごとく平安ならしめたいと思っている。
  新羅王の金真平は、朕の藩屏の家臣で、王の隣国にいる。つねづね聞くところによれば、〔王は〕出兵して〔新羅の〕征討を休みなくつづけ、武力をたのんで平気で残忍な行為をしているとのことであるが、〔これは朕が〕希望していることに甚しく背くものである。
  朕はすでに、王の姪(甥)の福信および高句麗新羅の使者にたいし、具体的に和平を実行し、ことごとく和睦しあうことを命じた。王も必ず新羅とのこれまでの怨みを忘れ、朕の本懐を知って、ともに好隣の情を篤くして、ただちに戦争をやめなさい。

といった。そこで王は使者を派遣し、上表文を奉って陳謝したが、表面では〔唐の太宗の〕命令にしたがうようにいいながら、実際には昔どおり仇敵関係にあった。