第二四代 真興王(在位五四〇―五七六)

三国史記 巻第四 新羅本紀第四

第二四代 真興王(在位五四〇―五七六)

 十一年(五五〇)春正月、百済高句麗の道薩城(忠北塊山郡塊山面)を陥れた。
 三月、高句麗百済の金硯城(忠北鎮川郡鎮川面)を陥れた。


三国史記 巻第二十六

第二六代 聖王(在位五二三―五五四)

 二十八年(五五〇)春正月、王は将軍の達己に一万の兵を率い、高句麗の道薩城(忠北塊山面)を攻めおとさせた。


日本書紀 巻第十九

  欽明天皇 天国排開広庭天皇

 十一年春二月十日、百済に使いを遣わして、――百済本紀に、三月二十日、日本の使人阿比多が三隻の船を率いてやってきたという。――仰せられ、「将徳久貴・固徳馬進文らの上表文の意に従い、一つ一つ、掌中を見るように教え示そう。こちらの心を詳しく説明しようと思う。使者大市頭が帰国後何も変ったことはない。今細かく返事をしようと思うので、使いを遣わした。奈率馬武は王の股肱の臣であると聞いている。上に伝え下の告げることは、よく王の心にかない、王の助けとなっている。もし天下に事なく、天皇の官家としていつまでも仕えようと思えば、馬武を大使として、朝廷に遣わすのがよい」と。重ねて詔して、「高句麗は強暴であるという。矢三十具(千五百本)を贈ろう。大事な所はしっかりと守って欲しい」といわれた。


北斉

高澄 549年 東魏 斉王
高洋 549年 - 550年 東魏 斉王
1.顕祖文宣帝(高洋、在位550年 - 559年)
2.廃帝(高殷、在位559年 - 560年)
3.粛宗孝昭帝(高演、在位560年 - 561年)
4.世祖武成帝(高湛、在位561年 - 565年)
5.後主(高緯、在位565年 - 577年)
安徳王(高延宗、在位576年)
6.幼主(高恒、在位577年)