三国志 魏書 武帝紀 第一

三国志 魏書 武帝紀 第一

 二十五年(二二〇)春正月、洛陽に到着した。

 庚子の日(二十三日)、王は洛陽において崩御した。

二月丁卯の日(二十一日)、高陵に葬った。

三国志 魏書 文帝紀 第二

 文皇帝は韋を丕、字を子桓といい、武帝の太子である。中平四年(一八七)冬、譙で生れた。建安十六年(二一一)、五官中郎将・副丞相となった。二十二年(二一七)、魏の太子に立てられた。太祖が崩御すると、位をついで丞相・魏王となった。王后(武帝の妃卞后)に王太后の尊称をたてまつった。建安二十五年を改めて延康元年とした。

 元年(二二〇)二月壬戌の日(十六日)、太中大夫の賈詡を太尉に、御史大夫の華音を相国に、大理の王朗を御史大夫に任命した。

 そのむかし、漢の熹平五年(一七六)に、黄色の龍が譙に出現した。

 己卯の日(三日)、前将軍夏侯惇を大将軍に任命した。

 夏四月丁巳の日(十二日)、饒安県から白い雉があらわれたと報告された。庚午の日(二十五日)、大将軍夏侯惇が逝去した。

 五月戊寅の日(三日)、天子は王に皇祖の太尉(曹嵩)を追尊して太王と称し、その夫人の丁氏を王太后と称するように命じ、王の子の曹叡(のちの明帝)を武徳侯にとりたてた。同じ月、馮翊の山賊鄭甘と王照が手下をひきつれて降伏し、いずれも列侯にとりたてられた。


三国史記 巻第二 新羅本紀第二

第一〇代 奈解尼師今(在位一九六―二三〇)

 二十五年(二二〇)春正月、伊伐食の利音が死去したので忠萱を伊伐食とし、軍事の統轄を兼務させた。



魏(220年 - 265年)

太祖 武帝 曹操 216年 - 220年
世祖 文帝 曹丕 220年 - 226
烈祖 明帝 曹叡 226年 - 239年
廃帝(斉王) 曹芳 239年 - 254年
廃帝(高貴郷公) 曹髦 254年 - 260年
元帝 曹奐 260年 - 265年