北アフリカ戦線終結

アメリカの参戦
チャーチル真珠湾攻撃以前から米国の大戦参加を要求していたが、米国は大戦への参加には終始及び腰であった。しかし、日本の対米宣戦布告に伴って、独伊も対米宣戦布告をしたことはイギリスにとって渡りに船であった。これによってアメリカはヨーロッパ戦線への参戦が可能になりイギリスは直接支援を得ることができる相手を見つけることができた。目下の目標は北アフリカ戦線の攻略であり、将来的な目標は西部戦線の復活であった。
1943年5月までに北アフリカ戦線は終結し、8月には地中海を越えてシチリアに上陸、9月にはイタリア半島本土に取り付くことに成功した。本土への連合軍上陸を許したイタリアは9月8日に無条件降伏した。但しベニート・ムッソリーニは北部に逃れたため、ドイツ軍の支援によってイタリア戦線は継続された。
続いて西部戦線の復活が具体的に検討され始めた。42年から43年にかけて予備的な上陸作戦が行われた後、1944年6月6日に英米軍を主体としたノルマンディーへの大規模な上陸作戦が実施された。これによって西部戦線が復活し、ドイツを東西両方から挟み込む体制が確立した。以降戦争は急激に連合軍優位に進展していくことになった。8月末にはパリを開放、9月初めにはアントウェルペンを解放しヨーロッパ西部の戦線は急激に拡大していった。1945年4月にはソ連軍がベルリンに侵攻、5月8日にドイツは連合軍に対し無条件降伏した。
太平洋戦線でも、物資、工業力に勝るアメリカが優位に戦線を展開し、1945年9月2日にはポツダム宣言が調印され、日本も無条件降伏した。