太政大臣忠平 貞信公

大鏡 第二巻 一 太政大臣忠平 貞信公

 太政大臣忠平公――この大臣は、これも基経大臣の四男で、御母は本院の大臣〔時平公〕、および枇杷の大臣〔仲平公〕と同じです。延長八年九月二十一日に、摂政の勅旨が下り、天慶四年十一月に、関白の勅書を拝受なさいました。公卿として四十二年、大臣の官で三十二年、摂関として政治をお執りになること二十年間でした。亡くなられてからの御盆を貞信公とお呼び申します。また小一条の太政大臣とも申します。朱雀院ならびに村上天皇の御叔父でいらっしゃいます。


880〜891 太政大臣 藤原基経


三国史記 巻第一一 新羅本紀第一一

第四九代 憲康王(在位八七五―八八六)

 六年(八八〇)春二月、太白(金星)が月をよぎった。侍中の父謙が退官し、伊食の敏恭が侍中になった。


1.承天応運啟聖睿文宣武皇帝黄巣(在位880年 - 884年)