第三〇代 武王(在位六〇〇―六四一)

三国史記 巻第二十七

百済本紀第五 武王

第三〇代 武王(在位六〇〇―六四一)

 四十二年(六四一)春三月、王が薨去したので、諮して武といった。
 使者が唐にゆき、白い喪服を着て、上表文を奉り、

  君の外臣である扶余章(武王)が卒去しました。

といった。帝(太宗)は玄武門で挙哀(死を悲しみ哭泣する儀礼)し、詔して、

  遠方の人を思いやる方法には、その命をいつくしむのがもっとも大切である。死者の最後を飾る〔葬儀での〕つとめには、遠方だからといって隔てはない。故柱国・帯方郡王・百済王扶余章は、山に桟道を作って通り、海を船で渡って、遠くにいながら正朔を奉じ、宝物を献上し、公文書を奉って、終始かわらなかった。にわかに死にいたったことを深くあわれみ追悼する〔しだいである〕。よろしく常例〔の賜物〕よりも多くして、悲しみとその栄誉をあらわし、〔さらに〕光禄大夫を追贈する。

といい、賭物(香典)ははなはだ多かった。


三国史記 巻第二十八

百済本紀第六 義慈王

第三一代 義慈王(在位六四一―六六〇)

 義慈王は武王の嫡男である。〔王の性格は〕雄壮・勇敢で、胆力と決断力とがあった。武王在位三十三年(六三二)に太子となった。〔王は〕親に仕えて孝行で、兄弟とは仲がよかったので、当時〔の人〕は〔王を〕海東の曾子とよんだ。武王が薨去したので、太子が〔王〕位をついだ。
〔唐の〕太宗は、祠部郎中の鄭文表を派遣して、〔王を〕冊命して、柱国・帯方郡王・百済王とした。


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ウェセックス王エゼルバルド(858年 - 860年) エゼルウルフの息子
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