『宋書』倭国伝

宋書倭国

 太祖(第三代文帝、四二四―五三在位)の元嘉二年(四二五)、讃はまた司馬曹達を遣わして、表(上書)を奉り方物(その地方の産物)を献じた。讃が死んで弟の珍(弥、第十六代仁徳天皇・第十七代履中天皇・第十八代反正天皇の三説、履中天皇が有力)が立った。使を遣わして貢献し、みずから使持節都督倭・百済新羅任那・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称し、上表文をたてまつって除正(除任)されるよう求めた。詔して安東将軍・倭国王に除した。珍は、また倭隋ら十三人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍の号に除正されるよう求めた。詔して同じく認めた。