新羅・蝦夷との紛争

日本書紀 巻第十一 仁徳天皇

 冬十月七日、百舌鳥野陵三(大阪府堺市大仙町)に葬った。

三 記に毛受之耳原。延喜諸陵式に「百舌鳥耳原中陵〈難波高津宮御宇仁徳天皇。在和泉国大鳥郡。兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟〉」。陵墓要覧に所在地を大阪府堺市大仙町とし、前方後円墳、三重堀と注する。仁徳陵の壮大は有名で、前方後円墳の長軸は四八五メートル、前方部全面の幅三〇二メートル、高さは水面から前方部が三四メートル、後円部で三六メートル、三重の堀をめぐらし、総面積四六万四千平方メートル。周囲に陪塚十三を数え、築造には延一八〇万人以上を要したろうと計算されている。俗に大山陵と称する。