新羅・蝦夷との紛争

日本書紀 巻第十一 仁徳天皇

 六十七年冬十月五日、河内の石津原においでになり、陵地を定められた。十八日に陵を築いた。この日、野の中から急に鹿が出てきて、走って役民の中に入り、倒れ死んだ。その急に死んだのを怪しんで傷を探した。百舌鳥が耳から出てきて飛び去った。耳の中をみるとことごとく食いかじられていた。それでそこを百舌鳥耳原というのは、このいわれによるのである。この年、吉備の中国の川島河の川股に、竜がいて人を苦しめた。道行く人がそこに触れると、毒気にあてられて沢山死んだ。笠臣の先祖の県守は、勇ましくて力が強かった。