第一三代 近肖古王(在位三四六―三七五)

三国史記 巻第二十四 百済本紀第二

第一三代 近肖古王(在位三四六―三七五)

 二十六年(三七一)、高句麗軍が大挙して攻めて来た。王はこれを聞いて、貝河(臨津江か)のほとりに伏兵をおき、〔高句麗軍の〕到着をまって、これを急襲したので、高句麗軍は敗北した。
 冬、王は太子とともに、三万人の精鋭な軍隊を率い、高句麗に侵入し、平壌城を攻撃した。〔高句〕麗王斯由は力戦して、これを防いだが、流れ矢にあたって戦死した。王は軍隊を引きあげ退いた。
〔王〕都を漢山に移した。