武庫の船火災

日本書紀 巻第十 応神天皇

 三十一年秋八月、群卿に詔していわれるのに、「官船の枯野は、伊豆の国から奉ったものであるが、いまは朽ちてきて用に堪えない。しかし長らく官用を勤め、功は忘れられない。その船の名を絶やさず、後に伝えるには何かよい方法はないか」と。

 前に枯野船を塩の薪にして焼いた日に、あまりものの焼け残りがあった。その燃えないのを不思議に思って献上した。天皇は怪しんで琴を造らされた。その音はさやかで遠くまで響いた。