三国志 魏書 武帝紀 第一

三国志 魏書 武帝紀 第一

 九年(二〇四)春正月、黄河を渡り、淇水の流れをせきとめて白溝(運河)に水を入れ、糧道を通じた。二月、袁尚はふたたび袁譚を攻撃し、蘇由と審配を鄴の守備に残しておいた。

夏四月、曹洪を鄴攻撃に残し、公自身は兵をひきつれ尹楷を攻撃し、これをうち破って帰った。

五月、土山と地下道をこわし、城の周囲に濠を掘り、漳水を決潰させて城に灌いだ。

秋七月、袁尚は鄴救援に引き返して来た。

八月、審配の兄の子の審栄が夜中守備していた城の東門をあけ、〔公の〕兵を入れた。

 九月、布告を出した。

十二月、公は平原に入城し、諸県を攻略平定した。


三国史記 巻第二十三 百済本紀第一

第五代 肖古王(在位一六六―二一四)

 三十九年(二〇四)秋七月、出兵して、新羅の腰車城を攻略し、その城主の壁夫を殺した。〔新〕羅王の奈解が怒って、伊伐食の利音を将軍とし、六部の精鋭な軍隊を率い、わが沙硯城(慶北聞慶郡籠岩面沙硯里か)を攻撃した。