宣戦の詔勅

大本営 午前7時

 帝国陸海軍ハ本八日未明、西太平洋ニ於テ米英軍ト戦闘状態ニ入レリ


宣戦の詔勅 午前11時40分

 天佑ヲ保有万世一系ノ皇乍ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ハ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
 朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各ゝ其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ違算ナカラムコトヲ期セヨ(略)
今ヤ自存自衛ノ為厥然起ッテ一切ノ障疑ヲ破砕スルノ外ナキナリ


真珠湾攻撃(英語:Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃および潜航艇による攻撃である。

当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦であり、マレー作戦に次いで開始された作戦である。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を喪失した。世界史的には、マレー作戦と本攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83


1941年12月8日に日本が対米英宣戦布告を行うことによってアジア、太平洋地域での戦線が開かれることになった。日本軍は早々に香港、マレー半島シンガポールといったアジアにおけるイギリスの拠点を陥落させ、ビルマに侵攻し、インドを窺う姿勢をとったことは大きな打撃となった。海戦でもマレー沖海戦では日本の航空機部隊に対して東洋艦隊が壊滅したのはイギリスの海軍力の斜陽を示すことになった。
第一次大戦の主要戦線がヨーロッパに限定されたのに対し、第二次大戦ではアジアでも大規模な戦線が開かれた。これはイギリスの用兵に大きく影響した。第一次大戦では多数の英印軍、オーストリア軍及びニュージーランド軍からなるANZACが大規模にヨーロッパ戦線に投下された。一方、第二次大戦では、ビルマ戦線に英印軍を投下することを余儀なくされ、又インドの離反の備えも必要とした。オーストラリアも開戦初期にダーウィンを空襲されると危機感が煽られ結局オーストラリア軍の大部分をオーストラリアに帰還させなければならなかった。
ただしこのようにしてイギリスがアジア戦線に投下した兵力も連合軍の主力になり得ることは無かった。この方面の反撃は専らアメリカ軍に委ねられることになった。