レディ・ジェーン・グレイ

レディ・ジェーン・グレイ(Lady Jane Grey、1537年10月12日? - 1554年2月12日)は、イングランドテューダー朝第4代の女王。在位が非常に短いため(1553年7月10日 - 19日)歴代君主に数えない学者もいるが、イギリス王室はジェーンを正統な君主と認めている。父はサフォーク公ヘンリー・グレイ、母はフランセス・ブランドン。母方の祖母がヘンリー8世の妹メアリー・テューダーだったため、彼女はヘンリー7世の曾孫に当たる。これが王位継承権の根拠となった。

来歴
ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちのノーサンバランド公 ジョン・ダドリー)は、政敵サマセット公 エドワード・シーモアエドワード6世の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、自分の息子ギルフォード・ダドリーとジェーンを結婚させた。そうして、王位継承のライバルとなるヘンリー8世の子メアリーがカトリックであることを利用し、熱烈なプロテスタントエドワード6世を説き伏せ、病床の王からジェーンへの王位継承を指示する勅令を得た。ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(つまりノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。
エドワード6世崩御すると、ノーサンバランド公はジェーンの即位を宣言したものの、陰謀を察知したメアリーが逃亡し、身柄を拘束できなかった。そのためメアリー派の反攻を許すこととなり、1553年7月19日にサフォークでメアリーが即位を宣言、ジェーンと夫ギルフォードらが逮捕された。続けてギルフォードの兄弟、ジョン、アンブローズ、ロバート(のちにエリザベス1世の寵臣となる)、ヘンリーらダドリー一族も逮捕された。
その後、ジェーンはロンドン塔幽閉を経て、1554年2月12日、夫ギルフォードとともに斬首された。王位に就いたメアリーは当初、ジェーンの処刑に躊躇したといわれるが、スペイン王カルロス1世と王太子フェリペの婚約解消の脅しに屈し、処刑の命令を下したという。なおこの1554年2月というのは、ジェーンを王位に即けることを要求したワイアットの乱の起きた月でもあり、その影響もあったと考えられる。
処刑後、遺体は夫ギルフォードと共に聖ピーター教会に葬られた。