アイルランド占領

1536年にヘンリー8世アイルランドへの再侵入を試みた。アイルランドイングランド王位僭称者ランバート・シムネルを担いで反抗したが、王位僭称者を担いだ事はヘンリーに相当の危機感を持たせヘンリーにしてアイルランドの植民地化を決意させるに至った。1541年ヘンリーは在地貴族の支持を得られないまま、従来の「アイルランド卿」に代えて「アイルランド王」を自称した。この後もアイルランドへの出兵は断続的に継続されジェームズ1世の統治下でアイルランド全島の支配が確立した。
前述の通り、アイルランドでは宗教改革でもカトリックを守り通したため、プロテスタントに切り替わったイングランドとの間で宗教的な差異性が存在していた。イングランドは支配層であるイングランド人の優位性を確定させるためにカトリック刑罰法を規定しカトリックの元支配層の失落とカトリックに対する差別が画策されることになった。