建武の新政

建武の新政は、鎌倉幕府滅亡後の1333年(元弘3年/正慶2年)6月に後醍醐天皇が「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始した事により成立した政権及びその新政策(「新政」)である。建武の中興とも表現される。
名は、翌1334年に定められた「建武」の元号に由来する。近年の歴史学では「建武政権」という表現も多い。 後醍醐天皇天皇親政によって朝廷の政治を復権しようとしたが、武士層を中心とする不満を招き、1336年(建武3年)に河内源氏の有力者であった足利尊氏が離反したことにより、政権は崩壊した。

6月5日、高氏が鎮守府将軍に任命され、天皇の諱「尊治」から一字を与えられ「尊氏」と改めた。尊氏ら足利氏の勢力を警戒した護良親王は奈良の信貴山に拠り尊氏を牽制する動きに出たため、後醍醐天皇は妥協策として6月23日に護良親王征夷大将軍に任命する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%AD%A6%E3%81%AE%E6%96%B0%E6%94%BF