スコットランド王国 ベイリャル朝・ブルース朝

ジョン・ベイリャル(1292年 - 1296年) 
ロバート1世(ロバート・ドゥ・ブルース、1306年 - 1329年) 
デイヴィッド2世(1329年 - 1332年)
エドワード・ベイリャル(1332年、1333年 - 1346年) 
デイヴィッド2世(復位、1347年 - 1371年)

スコットランドには、スコットランドに残存したケルト系といわれるピクト人の他に5世紀から8世紀にかけて、アイルランドから渡ってきたゲール人イングランドから流れてきたアングロサクソン人、スカンジナビアから渡ってきたヴァイキング等が次々に渡来し混在し混ざり合うことになった。イングランドと比較してアイルランドからやってきたグループと北欧の政治権力の影響をより多く受けたことにスコットランド独自の特徴を有している。
スコットランドでは11世紀初頭にようやく政治的な統一がみられるようになった。現在とほぼ同じ領域でスコットランドが統一されるのは15世紀になってからである。政治的に統一しかけたスコットランドに対してしばしばイングランドが軍事的に侵攻してくることが多かった。最大のものは1292年のイングランドエドワード1世による侵攻で、スコットランドは一時的にイングランドの隷属下に置かれたが、ウィリアム・ウォレスの反乱などスコットランドイングランドに対抗し、14世紀初めまでにスコットランドは再びイングランドからの独立を果たした。このようにスコットランドはしばしばイングランドに対抗する措置を迫られたため、フランスと同盟を結ぶ事が多かった。これは中世を通じて一定的にみられる傾向であった。