ルウェリン・アプ・グリフィズ

ウェールズではケルト系の分裂した小国家が13世紀まで存続していた。これらの国家群は他との政治的関係から一時はイングランドと結んで他の国家群と対決したり、あるいはウェールズで団結してイングランドに対抗するということを繰り返していた。このような状況で1280年頃にルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズに政治的な統一をもたらそうと試みた。彼はウェールズの第一人者としてプリンス・オブ・ウェールズウェールズ大公)を名乗ったが、イングランドエドワード1世に攻め込まれ敗死した。グリフィスを屈服させたエドワードは身重の王妃をウェールズに呼び寄せてここで息子エドワードを出産させた。王はウェールズ生まれの王子にウェールズの支配者たる「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えた。これは現在に至るまで英王室次期王位継承者の称号として存続している。このようにしてウェールズイングランドの政治的支配下に入ることになったが、文化的なアイデンティティーはその後も存続し現在まで至っている。