先帝身投

平家物語 巻十一

先帝身投

 二位殿はこの有様を御覧じて、日ごろおぼしめしまうけたる事なれば、にぶ色の二衣うちかづき、練袴のそばたかくはさみ、神璽をわきにはさみ、宝剣を腰にさし、主上をいだき奉(ッ)て、
「わが身は女なりとも、かたきの手にはかかるまじ。君の御供に参るなり。御心ざし思ひ参らせ給はん人々はいそぎつづき給へ」
とて、ふなばたへあゆみ出でられけり。主上今年は八歳にならせ給へども、御としの程よりはるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしくあたりもてりかかやくばかりなり。御ぐし黒うゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御様にて、
「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」
と仰せければ、いとけなき君にむかひ奉り、涙をおさへて申されけるは、
「君はいまだしろしめされさぶらはずや。先世の十善戒行の御力によ(ッ)て、いま万乗の主と生れさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでにつきさせ給ひぬ。まづ東にむかはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西方浄土の来迎のあづからむとおぼしめし、西にむかはせ給ひて御念仏さぶらふべし。この国は粟散辺地とて心憂きさかひにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき処へ具し参らせさぶらふぞ」
と泣く泣く申させ給ひければ、山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ、まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、
「浪の下にも都のさぶらふぞ」
となぐさめ奉(ッ)て、千尋の底へぞ入り給ふ。
 悲しき哉、無常の春の風、忽ちに花の御すがたをちらし、なさけなきかな、分段のあらき浪、玉体を沈め奉る。殿をば長生と名づけてながきすみかとさだめ、門をば不老と号して老せぬとざしとかきたれども、いまだ十歳のうちにして、底の水屑とならせ給ふ。十善帝位の御果報申すもなかなかおろかなり。
 雲上の竜くだ(ッ)て海底の魚となり給ふ。大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、いにしへは槐門棘路の間に九族をなびかし、今は舟のうち浪の下に、御命を一時にほろぼし給ふこそ悲しけれ。


 二位殿はこのありさまをご覧になって、日頃から覚悟しておられたことなので、喪に用いる灰色の二枚重ねの衣を頭からかぶり、練絹の袴のももだちを高くはさみ、神璽を脇にかかえ、宝剣を腰にさし、天皇をお抱き申しあげて、
「わたしは女ではあるが、敵の手にはかかりません。帝のお供に参るのです。帝に忠節を志す人々は、急いで後にお続きなさい」
といって、船ばたに歩み出られた。天皇は今年八歳になられたが、御年齢のほどよりははるかに大人びておられ、そのご容姿は端麗で、あたりも照り輝くほどである。御髪は黒くゆらゆらとして、お背中の下まで垂れておられた。事のなりゆきに驚かれたご様子で、
「尼ぜ、わたしをどこへ連れていこうとするのか」
と仰せられたので、幼い帝に向い奉って、涙をおさえて申されるには、
「君はまだご存じではございませんか。前世で十善の戒行を行なわれたお力によって、いま万乗の天子としてお生れになられましたが、悪縁に引かれて、御運はもはや尽きてしまわれました。まず東にお向きになられて伊勢大神宮にお暇申しあげ、その後西方浄土の仏菩薩のお迎えをおうけしようとお思いになって、西にお向きになり御念仏をお唱えください。この国は粟散辺地といって、つらくいとわしいところですから、極楽浄土という結構なところへお連れ申すのです」
と泣く泣く申されると、山鳩色の御衣にびんづらを結われたお姿で御涙にむせびながら、小さくかわいらしい御手を合わせて、まず東をふし拝み、伊勢大神宮にお暇を申され、その後西に向われて御念仏を唱えられたので、二位尼天皇をお抱き申したまま、
「波の下にも都がございます」
とお慰め申しあげて、千尋の海底へお入りになった。
 悲しいことに、無常の春の風は、たちまち帝の花のようなお姿を散らし、情けないことに、六道を輪廻する生死の荒波は、天子のおからだをお沈め申しあげる。御殿を長生と名づけて長いすみかと定め、門を不老とよんで老いることない門と書いてあるが、まだ十歳にもならず、海底の水屑となってしまわれた。十善の帝位にあらわれるお方のご不運は、申しようもなくおいたわしいことである。
 雲の上の竜が下って、海底の魚とおなりになった。梵天王の高い楼閣の上、帝釈天の喜見城の宮殿の内のような、りっぱな御殿にお住みになって、昔は大臣、公卿たちにかこまれ、平家一門の人々にかしずかれておられたのに、今は船のうちにさすらい、波の下に御命をたちまち滅ぼされたのは、まことに悲しいことであった。


吾妻鏡 元暦二年三月二十四日の条

長門国赤間関壇ノ浦の海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う。平家は五百艘を三手に分け山峨兵藤次秀遠および松浦党らを将軍となして源氏に戦いを挑んだ。午の刻に及んで平氏は敗北に傾き終わった。