宋史(巻四百九十一・外国七) 日本国

宋史(巻四百九十一・外国七) 日本国
 雍煕元年(九八四年)、日本国の僧奝然が、彼の弟子五、六人と海路やって来た。彼は、銅器十余種、および日本国の官庁制度表、日本国王年代記それぞれ一巻を献上した。奝然は緑衣を看に着け、みずから、姓は藤原氏、父は真連である、と言った。真連とは、かの国の五品の官名である。奝然は隷書に巧みであったが、中国語はわからなかった。日本国の風土について質問すると、彼は筆談で次のように答えた。
「日本国には五経の書、および仏教の経典・白居易集七十巻があり、いずれも中国から手に入れたものである。土壌は五穀には適しているが、麦はあまり多くない。売買には銅銭を使い、その銅銭には「乾文大宝」という文字が刻まれている。家畜としては、水牛・驢馬・羊がおり、犀と象が多い。蚕糸を産し、多くの絹織物を生産するが、その絹布は薄くてきめが細かく美しい。音楽は、中国のものと高麗のものとの二部がある。四季の寒暑はだいたい中国と同様である。国の東境は海島に接しているが、その島は夷人が住んでおり、からだにも顔にも毛が生えている。東の奥州には黄金を産し、西の離島には白銀を産し、それらを中央への貢ぎ物としている。国王は王を姓とし、代々あい伝えて現在の王に及ぶまで六十四代、文武の官僚はいずれも世襲の官である」