第58代 光孝天皇 884年2月5日〜887年8月26日

大鏡 第一巻 帝紀 一 五十八代 光孝天皇

 つぎの天皇は、光孝天皇と申しあげました。〔御緯は時康と申しあげます。〕この方は仁明天皇の第三の皇子です。御母は贈皇太后宮藤原沢子と申しあげ、贈太政大臣藤原総継の御息女です。この天皇は、淳和天皇の御代の天長七年に東五条の家でお生まれになりました。


古今和歌集巻第七

  賀歌

     題しらず                 読人しらず

343 わが君は千世に八千世にさゞれ石の巌となりて苔のむすまで

344 わたつ海の浜の真砂をかぞへつゝ君が千年のあり数にせむ

345 しほの山さしでの磯にすむ千鳥君が御世をば八千世とぞなく

346 わが齢君が八千世にとりそへて留めをきては思いでにせよ

     仁和御時、僧正遍昭に、七十賀賜ひける
     時の御歌

347 かくしつゝとにもかくにも永らへて君が八千世に会ふよしも哉

     仁和帝の、親王におはしましける時に、御を
     ばの八十賀に、銀を杖に作れりけるを見て、
     かの御をばに代りて、よみける       僧正遍昭

348 ちはやぶる神や伐りけむ突くからに千年の坂もこえぬべらなり

     堀川大臣の四十賀、九条の家にてしける
     時に、よめる               在原業平朝臣

349 さくら花ちりかひ曇れ老らくの来むといふなる道まがふがに

     貞辰親王の、をばの四十賀を、大井にてしけ
     る日、よめる               紀惟岳

350 亀のおの山の岩根を尋めて落つる滝の白玉千世の数かも

     貞保親王の、后宮の五十賀奉りける御屏
     風に、桜の花の散る下に、人の花見たる形書
     けるを、よめる              藤原興風

351 いたづらに過ぐる月日は思ほえで花みて暮らす春ぞすくなき