第40代 天武天皇 673年2月27日〜686年9月9日

日本書紀 巻第二十九

  天武天皇 天亭中原沖真人天皇 下

 二月二十七日、天皇は有司に命じて壇場を設け、飛鳥浄御原宮で即位の儀をされた。正妃(菟野皇女)を立てて皇后とされた。后は草壁皇子(文武・元正両天皇の父)を生まれた。これよりさき皇后の姉大田皇女を召して妃とされ、大来皇女大津皇子を生まれた。次の妃大江皇女(天智天皇の女)は、長皇子と弓削皇子とを生まれた。次の妃、新田部皇女は舎人皇子(日本書紀編纂の総裁)を生まれた。また夫人の藤原大臣(鎌足)の女氷上娘は但馬皇女を生まれた。次の夫人氷上娘の妹の五百重娘は、新田部皇子を生まれた。次の夫人の蘇我赤兄大臣の女太薩娘は、一男二女を生まれた。第一を穂積皇子といい、第二を紀皇女、第三を田形皇女という。天皇は初め鏡王の女、額田姫王を召して十市皇女大友皇子の室)を生まれた。次に胸形君徳善の女尼子娘を召して高市皇子を生まれた。次に宍人臣麻呂の女穀媛娘は二男二女を生まれた。第一を忍壁皇子、第二を磯城皇子、第三を泊瀬部皇女、第四を託基皇女という。