663-01-01 白村江の会戦 三国史記 巻第六新羅本紀第六 文武王 上第三〇代 文武王(在位六六一―六八一) 三年(六六三)春正月、長倉を南山新城に作り、富山城(慶北月城郡西面)を築いた。 日本書紀 巻第二十七 天智天皇 二年春二月二日、百済は達率金受らを遣わして調をたてまつった。新羅人が百済の南部の四州を焼き討ちし、徳安などの要地を奪った。このとき避地は敵と近すぎたので、そこに居ることができず、州柔(率城)に戻った。田来津が言ったようになった。 この月、佐平福信が、唐の捕虜続守言らを届けていた。