『隋書』倭国伝

『隋書』倭国

 明年(大業四年、推古十六年・六〇八)、上(煬帝)は文林郎斐清(斐世清)を遣わして倭国に使させた。百済を度り、竹島(絶影島か)にゆき、南に耽羅国耽羅済州島)を望み、都斯麻国(対馬)をへて、はるかに大海の中にある。また東にいって一支国壱岐)に至り、また竹斯国(筑紫)に至り、また東にいって秦王国(厳島・周防、秦氏の居住地か)に至る。その住民は華夏(中国)に同じく、夷州(いまの台湾)とするが、疑わしく明らかにすることはできない。また十余国をへて海岸に達する。竹斯国から以東は、みな倭に附庸する。


三国史記 巻第四 新羅本紀第四

第二六代 真平王(在位五七九―六三二)

 三十年(六〇八)、王は高句麗がしばしば領域に侵入してくるのを思いわずらい、隋の軍隊に高句麗を征伐してもらうよう頼みたいと思い、円光に命じて出兵を願う上表文を書かせた。
〔そこで〕円光は〔次のように〕いった。


三国史記 巻第二十七

百済本紀第五 武王

第三〇代 武王(在位六〇〇―六四一)

 九年(六〇八)春三月、使者を隋に派遣し、朝貢させた。
 隋の文林郎の斐清が、使者として倭国にゆくのに、わが国の南路を通った。