第30代 敏達天皇 572年4月3日〜585年8月15日

日本書紀 巻第二十

  敏達天皇 亭中倉太珠敷天皇

 元年夏四月三日、皇太子は天皇に即位された。先帝の皇后を尊んで皇太后といった。
 この月、百済の大井に宮をつくった(百済河内長野市太井とする説と、奈良県広陵町百済とする説がある)。物部弓削守屋大連を大連とすることは、元のようであった。蘇我馬子宿禰を大臣とした。


三国史記 巻第四 新羅本紀第四

第二四代 真興王(在位五四〇―五七六)

 三十三年(五七二)春正月、元号を鴻済と改めた。
 三月、王太子の銅輪が死去した。
 使者を北朝の斉に派遣し、朝貢させた。


三国史記 巻第二十七

百済本紀第五 威徳王  恵王  法王  武王

第二七代 威徳王(在位五五四―五九八)

 十九年(五七二)、使者を〔北〕斉に派遣し、朝貢させた。