大草香皇子の災厄

日本書紀 巻第十三 安康天皇

 三年秋八月九日、安康天皇は眉輪王のため殺されてしまう。――雄略天皇の条に詳しくのべてある。
 三年の後、菅原伏見陵(奈良市宝来町字古城)にお祀り申し上げた。


日本国現報善悪霊異記 上巻

      諾楽の右京の薬師寺の沙門景戒録す

 そもそも、仏教や儒教が、わが国に伝わり、広くひろまるに至った時期を尋ねてみると、およそ二度あった。二度とも百済の国から海を越えて渡って来たのである。大和の軽島の豊明の宮に天下をお治めになられた応神天皇の御代に、儒教の書が伝わった。大和の磯城島の金刺の宮で天下をお治めになられた欽明天皇の御代に、仏教の本が渡って来た。しかしながら、儒教の書を信じ学ぶ者は、仏法を悪くいった。反対に仏教の本を信じ読む者は、儒教の書を軽んじている。愚かな連中は、迷いにとらわれ、悪の種をまけば悪の報いがあり、善の種をまけば善の報いがあるという原理を信用しない。しかし、知恵の深い仏教信者の仲間は、仏教の本にも儒教の書にも親しんで、因果応報の教えをかたく信じ、つつしみ恐れているのである。


日本書紀 巻第十四

雄略天皇 大泊瀬幼武天皇

 大泊瀬幼武天皇允恭天皇の第五子である。天皇がお生まれになったとき、神々しい光が御殿に充満した。成長されてから、そのたくましさは人に抜きんでていた。
 三年八月、安康天皇は湯あみしようと思われ、山の宮においでになった。そして楼にお登りになって眺め渡された。それから命じて酒宴を催された。そしてだんだん心がくつろがれて楽しさが極まり、いろいろな話を語り出され、皇后にいわれた。
 「妻よ、お前は私の充分なじんでいるが、私は眉輪王がこわい」と。眉輪王はまだ幼くて、楼の下でたわむれ遊んでいて、全部その物語を聞いた。そのうち、天皇は皇后の膝を枕に昼寝をしてしまわれた。そこで眉輪王は、天皇の熟睡を伺って刺し殺してしまった。
 この日に大舎人が急ぎ走って、天皇雄略天皇)に、「安康天皇は眉輪王に殺されました」といった。天皇は大いに驚かれ、自分の兄弟たちを疑われて、甲を著け太刀を佩いて、兵を率い自ら先に立って、八釣白彦皇子(天皇の同母兄)を攻め、問いつめられた。皇子は危害を加えられそうなのを感じ、声も出ずすわっておられた。天皇は即座に刀を抜いて斬ってしまわれた。また坂合黒彦皇子(同母兄)を問いつめられた。皇子もまた害されそうなのに気づかれ、座したまま物も言われなかった。天皇はますます怒り狂われた。この際、眉輪王も殺してしまおうと思われたので、事のわけを調べ尋ねられた。眉輪王は、いわれた。「私は、もとより皇位を望んでおりません。ただ父の仇を報いたいだけです」と。
 坂合黒彦皇子は深く疑われることを恐れて、こっそり眉輪王と語り、ついに隙を見て、ともに円大臣の家へ逃げこんだ。天皇は使いを遣わして引渡しを求められた。

 冬十月一日、天皇安康天皇が、かつて、いとこの市辺押磐皇子に、皇位を伝えて後事をゆだねようと思われたのを恨んで、人を市辺押磐皇子のもとにやり、偽って狩りをしようと約束し、野遊びを勧めていわれるのに、「近江の佐々貴山の君韓代が言うのに、『いま近江の来田綿の蚊屋野に、猪や鹿が沢山います。その頂いた角は枯木の枝に似ています。その揃えた脚は、灌木のようであり、吐く息は朝霧に似ています』と申している。できれば皇子と、初冬の風があまり冷たくないときに、野に遊んでいささか心をたのしんで巻狩りをしようではないか」といわれた。市辺押磐皇子は、そこで勧めに従い、狩りに出向いた。このとき雄略天皇は弓を構え、馬を走らせだまし呼んで『鹿がいる』といい、市辺押磐皇子を射殺した。皇子の舎人佐伯部売輪は、皇子の屍を抱き、驚きあわててなすべきことを知らなかった。叫び声をあげころび回り、皇子の頭と脚の間を右往左往した。天皇はこれを皆殺しにしてしまった。
 この月、御馬皇子(押磐皇子の同母弟)はかねて三輪君身狭と親しかったので、心をたのしませようと思ってお出かけになった。不意に途中に伏兵があり、三輪の磐井のほとりで合戦となった。三輪皇子はほどなく捕えられて処刑されるとき、井戸を指してのろいをかけて、「この水は百姓だけが飲むことができる。王者だけは飲むことができない」といわれた。


古事記

雄略天皇

1 后妃皇子女

大長谷若建命、長谷の朝倉宮に坐しまして、天の下治らしめしき。天皇、大日下王の妹、若日下部王を娶したまひき。子無かりき。また都夫良意富美の女、韓比賣を娶して、生みませる御子、白髪命。次の妹若帯日賣命。二柱 故、白髪太子の御名代として、白髪部を定め、また長谷部の舎人を定め、また河瀬の舎人を定めたまひき。この時呉人参渡り來つ。その呉人を呉原に安置きたまひき。故、其地を号けて呉原と謂ふ。



萬葉集 巻一

    雑歌

   泊瀬朝倉宮御宇天皇代 太泊瀬稚武天皇

    天皇の御製の歌

一 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ やまとの國は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 我こそは 告らめ 家をも名をも

   籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 此岳弥 奈採須児 家吉閑名 ゝ告紗根 虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居 師吉名倍手 吾己曾座 我許背歯 告目 家呼毛名雄母

   狛よ 弥狛たちよ 復古島よ 弥復旧島の者たちよ この丘に 吾並び立ち ここに(家を)作らむ 吾告げて住まむ 斯慮 弥雛 山跡の国は 押しおきてあり 統治者は吾一人なり 鎮めねかし 吾自ら座る 吾急ぎ来て 告げむ ここに来たる 出で来たる、と


埼玉県・稲荷山古墳出土鉄剣の銘文

 獲加多支歯