第20代 安康天皇 453年12月14日〜456年8月9日

日本書紀 巻第十三 安康天皇

 穴穂天皇允恭天皇の第二子である。――一説では第三子という。――母を忍坂大中姫命という。稚亭毛二岐皇子の女である。四十二年春一月に天皇崩御された。
 冬十月に葬礼が終った。このときに太子である木梨軽皇子が、婦女に暴行をして淫乱であったので(太子が同母妹の軽大娘皇女を犯したこと)、国人たちは太子をそしった。群臣が心服しなくなり、すべての人が穴穂皇子についた。そこで軽太子は穴穂皇子を襲おうとして、こっそりと兵士を用意させた。
 穴穂皇子も同じように兵を集めて、戦おうとされた。そこで穴穂矢(銅製族)とか軽矢(鉄製族)とかがこのとき始めて作られた。

 十二月十四日、穴穂皇子は天皇の位につかれた。前の皇后を敬って皇太后と申し上げた。そして都を大和石上に移された。これを穴穂宮と申し上げる。ちょうどこの頃大泊瀬皇子(後の雄略天皇)は、反正天皇の娘たちをわがものにしようとされた。