木梨軽皇子と妹

日本書紀 巻第十三 允恭天皇

 冬十一月、新羅の弔使らは、喪礼を終って還った。新羅の人は京のほとりの耳成山畝傍山を愛した。琴引坂についたとき、ふり返って、「うねめはや、みみはや」といった。これはこの国の言葉に馴れず、畝傍山を訛ってうねめと言い、耳成山を訛ってみみといったのである。

 冬十月十日、天皇を河内の長野原陵(大阪府南河内郡美陵町国府)に葬った。