衣通郎姫

日本書紀 巻第十三 允恭天皇

 十一年春三月四日、茅亭宮においでになった。

 これより先、衣通郎姫が藤原宮においでになったとき、天皇大伴室屋連に詔して、「私はこの頃美人の嬢女を得た。皇后の妹である。特別に可愛いと思う。どうかその名を後世に残したいと思うが、どうだろう」といわれた。室屋連が勅にしたがって奏上したことをお許しになった。すなわち諸国の造らに仰せられて衣通郎姫のために、藤原部(屯倉の部民)を定められた。