誉田別皇子の立太子
日本書紀 巻第九
神功皇后 気長足姫尊
四十年、――魏志にいう。正始元年、建忠校尉梯携らを遣わして詔書や印綬をもたせ、倭国に行かせた。
正始元年(斉王芳、二四〇)、太守弓遵は、建中校尉梯催らを遣わし、詔書・印綬を奉じて倭国にゆき、倭王に拝仮して詔をもたらし、金綿(黄金と絹綿、金絵)・刀・鏡・采物(采色文章を施したもの、施旗衣服などに品級によって異なる彩色を施す)を賜わった。倭王は、使に因って上表文をたてまつり、詔恩(天子からの恩典)を答謝した。
第一一代 助憤尼師今(在位二三〇―二四七)
十一年(二四〇)、百済が西部の国境地帯に侵入した。
第八代 古迩王(在位二三四―二八六)
七年(二四〇)、出兵して新羅を侵した。