日本書紀 巻第九
神功皇后 気長足姫尊
三十九年、この年太歳己未。――魏志倭人伝によると、明帝の景初三年六月に、倭の女王は大夫難斗米らを遣わして帯方郡に至り、洛陽の天子にお目にかかりたいといって貢をもってきた。太守の訒夏は役人をつき添わせて、洛陽に行かせた。
三国史記 巻第二十四 百済本紀第二
第八代 古迩王(在位二三四―二八六)
六年(二三九)春正月、雨が降らなかった。夏五月になって、ようやく雨が降った。
三国志 魏書 三少帝紀 第四
〔景初三年二月〕丁丑の日(一月二十一日)に詔勅を下した、
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。