日本書紀 巻第九 神功皇后 気長足姫尊
新羅を討たれた翌年二月、皇后は群卿百寮を率いて、穴門の豊浦宮に移られた。
皇后は忍熊王が軍を率いて待ち構えていると聞いて、武内宿禰に命ぜられ、皇子を抱いて迂回して南海から出て、紀伊水門に泊らせられた。
忍熊王は軍を率いて退き、宇治に陣取った。
三国史記 巻第二 新羅本紀第二
第一〇代 奈解尼師今(在位一九六―二三〇)
六年(二〇一)春二月、加耶国が講和を申しこんできた。
三国志 魏書 武帝紀 第一
六年(二〇一)夏四月、黄河のほとりに兵を上陸させ、袁紹の倉亭の駐屯軍を攻撃し、これをうち破った。
九月、公は許に帰還した。