第13代 成務天皇 131年1月5日〜190年6月11日

日本書紀 巻第七 成務天皇

 稚足彦天皇景行天皇の第四子である。母の皇后は八坂入姫命という。八坂入彦皇子の女である。景行天皇の四十六年に皇太子となられ、年二十四であった。
 六十年冬十一月、景行天皇は亡くなられた。
 元年(一三一)春一月五日、皇太子は皇位に着かれた。この年、太歳辛未。


古事記 中の卷
五、景行天皇成務天皇

成務天皇
――國縣の堺を定め、國の造、縣主を定め、地方行政の基礎が定められた。――
 ワカタラシ彦の天皇成務天皇)、近江の國の志賀しがの高穴穗の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇は穗積ほづみの臣の祖先、タケオシヤマタリネの女のオトタカラの郎女いらつめと結婚してお生みになつた御子はワカヌケの王お一方です。そこでタケシウチの宿禰を大臣となされ、大小國々の國の造をお定めになり、また國々の堺、また大小の縣の縣主あがたぬしをお定めになりました。天皇は御年九十五歳、乙卯の年の三月十五日にお隱れになりました。御陵は沙紀さきの多他那美たたなみにあります。